【科博開館26年目の朝】開館の頃に思いを馳せて

11月 19


科博開館26年目を迎え、清々しくも朝陽を浴びている様子の博物館です。(2枚目は昼頃)

1枚目の写真は、通称プラネ池に映るプラネタリウム棟と石鎚山脈の山々です。プラネタリウム棟は朝陽を受けたところが輝き、当たっていないところには朝露が残っています。

開館直前の撮影ですので、放射冷却になるような風がなく天気のよい日にはこのような様子が開館後にご覧になれます。

また、これから山から平地へと紅葉の季節が訪れますし、冬場にはプラネタリウム棟に霜が降り、真冬にはプラネ池に全面氷が張ることもありますので、四季折々の姿をご覧になることができます。

朝晩は冬を感じさせる寒さになってきましたが、日中はほんとうに気持ちのよい季節になりました。25年前に開館した頃も、きっとこのような風景が見られたことかと思います。

あれから敷地内の植栽も大きく成長し、まわりの景色とも馴染んできました。26年目からの博物館も皆様と一緒に一歩一歩進んでいきたいと思っておりますので、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。

企画展「別子銅山・東平の思い出」も、先週は、新居浜南高校のユネスコ部の生徒さんがいらっしゃって、「東平を学ぼう!」と題して、写真やクイズを映し出しながら楽しく解説をしてくださいました。

来週は、元坑夫伊藤浩氏、元索道運搬夫の野住藤二郎氏をお招きして、当時の銅山の採掘・運搬についてお話ししていただきます。

大変貴重な機会ですので、ぜひおいでください。(企画・伊藤)

【祝!科博開館25周年!】令和元年11月11日が科博開館25年目の記念日です。

11月 11

現在、企画展「別子銅山・東平(とうなる)の思い出」が開催されていますが、愛媛県総合科学博物館もついに開館25年目の日を迎えることができました。奇しくも令和元年11月11日の1並びの日になりました。

写真に写っている作品は、五十崎社中㈱オリジナルのギルティング和紙使って作ったものです。企画展の中の写真スポットとして設けられていて、金、銀、銅のうすい箔(はく)をはりつけています。複雑な色合いがとてもきれいでしょう?(日付は10日になっていますが、記念日は休館でしたので、その前日に撮ったものです。)

開館記念イベントは、記念日に先だって、文化の日をはさむ3連休で行いました。

エントランス棟では、ワークショップ「プラ板アクセサリーを作ろう!」「タネで遊ぼう」「きまぐれ市」「おしゃれさんコンテスト」などが行われ、たくさんの人が参加してくれました。

屋外展示場では、「働く車」の展示が行われ、新居浜警察署のパトカー、新居浜南消防署のはしご車の回りで記念写真を撮る家族で賑わいました。

行列は「五十嵐美紀サイエンスショー」の観覧者で、プラネタリウム棟への入場を待っていました。特別投影「チャレンジ!カハク★ラビリンス」も行われました。

多目的ホールでは、企画展関連トークイベント「懐かしい別子銅山・東平での仕事と暮らし」が開催され、多くの人が熱心に聞いていました。

企画展とトークイベントを通して、別子銅山と地域の人々との深いつながりを感じるとともに、この思いを次の世代へと語り継いでいかなければならないという思いを強くしました。

写真は、記念日の前日、プラネ池の北側から、プラネタリウム棟、エントランス棟、展示棟を撮影したものです。

結婚式の前撮りにも使われる科博の隠れたビュースポットです。

科博は開館25年を迎えましたが、これからも進化の歩みを止めることなく、「見て、体験して、感じる」展示やイベント、講座の展開に力点を置き、「科学する心」を育てる博物館であり続けたいと思います。(企画・伊藤)

【企画展「別子銅山・東平(とうなる)の思い出」の開催期間中に25回目の開館記念日を迎えます】

11月 2

愛媛県総合科学博物館は、11月11日(月)に開館25周年を迎えます。それにちなんで、この25年間の博物館の歴史をいろいろな角度から振り返っていきたいと思います。

今回は、開催期間中に25回目の開館記念日を迎える企画展「別子銅山・東平の思い出」をご紹介したいと思います。

では、そもそも別子銅山とはどういう鉱山だったのでしょうか。簡単に紐解いてみたいと思います。

別子銅山 近代化遺産 後期(電力期/第三通洞【東平】・第四通洞【端出場】時代)1902年(明治35年~1973年(昭和48年)/住友グループ広報委員会WEBサイト別子銅山 近代化産業遺産 後期編」より転載

元禄3年(1690年)、標高1,000mを超える別子山村に発見された露頭を手がかりに、ここに良好な鉱脈があることを確認した住友は、翌年、採掘を開始。全国各所から採鉱や運搬にあたる稼人を募り、急速に採掘体制を整えていく。

記録によれば、発見からわずか5年後の1695年には、別子銅山山中に2,700人もの店員と稼人が暮らす鉱山町が形成されていたという。

以来、200年近く江戸時代を通じて、別子銅山は日本、あるいは世界でも有数の銅鉱山としてその名を天下に轟かせてきた。」(出所:住友グループ広報委員会WEBサイト「別子銅山 近代化産業遺産 概要編」)

「東平ジオラマ模型(縮尺5千分の1)」提供:新居浜南高等学校 製作:日野寿光氏 企画展で展示中

明治になると、近代化を推し進め、採鉱過程で火薬・ダイナマイトの導入、蒸気機関でシャフトの巻き上げ、上部鉄道、索道、下部鉄道の整備、発電所、製錬所の建設などをおこないました。

採鉱は上層部から始まり、第一通洞→第三通洞→第四通洞と下層部に向かって掘り進み、それにつれて採鉱本部や労働者の住宅も移転を繰り返しました。

東平には1918年から1930年まで採鉱本部が置かれました。本部が端出場に移転した後も主要な採掘拠点であり続けましたが、1968年に閉坑しました。(住友グループ広報委員会WEBサイト「別子銅山 近代化産業遺産 後期編」をもとに要約)

別子銅山は閉坑からすでに46年が経ち、当時現役で働いていた人たちの多くが他界しました。今後は東平のことを語り伝えることが大変難しくなることが予想され、今のうちに少しでも多くのものを伝え残しておきたいという思いから、今回はこの東平地区に焦点を当てた企画展を開催し、広くみなさんにお伝えすることになりました。

▶それでは、展示室の入口から順にご紹介しましょう。

企画展の入口の手前左手には「企画展のレイアウト(展示案内)」が掲示してあります。

大きく6つのゾーンに分かれていて、「Ⅰ 別子銅山・東平」であらましをご紹介した後、「Ⅱ 東平での暮らし」「Ⅲ 別子銅山での仕事」で、東平での具体的な生活と仕事について、写真や、模型、ジオラマ、実物、映像などで詳しくご紹介しています。

▶では入口から入ってみましょう。

順路に従って左手に行くと、第1ゾーンのあらましが書いてあります。


このコーナーでは、前出の「東平ジオラマ模型(縮尺5千分の1)」東平全景の写真住友別子鉱業所東平の全景写真などを紹介しています。

東平の工業所や社宅が山の急斜面に作られたことや、生産や生活に必要なものがそろっていたことなどがわかります。

▶「Ⅱの東平生活」のコーナーでは、実物も展示して紹介をしております。

人力で鉱石を運んでいた時代は、写真の背負子を使って、下りは鉱石を、上りは生活用品を運びました。女性で30㎏、男性で45㎏を運んだそうです。

ここは背負子の体験コーナーになっていて、実際に背負うことができます。(バランスを崩すと大変危ないので、子どもやお年寄り、腰痛を持っている方などはご遠慮いただいております。)

人々の生活や子どもたちの様子も写真もたくさん展示してあります。

住友では学校教育に力を入れていて、私立の学校を建てて優秀な先生を集め、教材もよいものをそろえていました。

写真は、一の森の山の頂を削って作った運動場で、小中学校の運動会に保護者や東平の人々も集まってきている様子です。

▶次のコーナーは、「Ⅲ 別子銅山の仕事」です。

坑夫達は社宅から事務所前のプラットホームまで歩き、そこから人車(電車)に乗って第三通洞へ入坑していきました。

切羽で掘り出した鉱石は、鉱車(電車)で運び出し、貯鉱庫に移します。

貯鉱庫に貯めた鉱石は、選鉱場に送ります。

選鉱場では鉱石だけを選んで、貯鉱庫に流します。

これらの施設は、ベルトコンベアーや山の斜面の落差を利用して上から下へと移動させていき、索道基地に到達する仕組みになっています。

索道基地に来た鉱石をなべ(上の写真では保守作業員が乗っています)に移し、下部鉄道へと運びます。

こうして、錬所まで持ち込まれ、できあがった別子銅山の銅は、各地へと運ばれていきました。

「昭和40年代に入ると、坑道は延びに延び、海面下およそ1,000mまで掘り進んでいた。だが、その分、採掘に要する負担も大きくならざるを得ない。人件費の安い海岸からの鉱石輸入も本格化し、さしもの大鉱山も陰りを見せ始める。最終的にはドルショックの影響で、昭和48年 (1973年)、別子銅山は終掘する。元禄から昭和まで、全期間の産銅量65万tは、足尾鉱山に次いで国内2番目であった。」(出所:住友グループ広報委員会WEBサイト「別子銅山 近代化産業遺産 概要編」)

ここでは展示品のうち一部しかご紹介できませんでした。貴重な資料の全容は、ぜひおいでになってじかにご覧になるのが一番かと思います。(また、ミュージアムショップでは、展示された写真を中心に「フォトブック」を販売しております。)

展示室では、写真実物模型やジオラマ映像資料(学芸員による聞き取り記録映像、南海放送による閉山関連番組など)がございますので、当時の別子銅山・東平の息吹を感じることができるのではないかと思います。

▶また、毎週水曜日には「学芸員による展示解説」を上の写真にあるⅣ 展示解説・スライドショーコーナー」にて行いますし、11月17日(日)には同じ場所で、「新居浜南高校のユネスコ部」のみなさんがクイズを交えて楽しく解説をします。

さらに、スライドショーの右手奥(入口から見ると入ってすぐ右手)にある「Ⅵ ワークショップコーナー」で、ワークショップ「銅箔ギルティングクラフト★ハンギングフォト」を行います。

写真のような作品が作れます。

①まず「Ⅴ 記念写真撮影スポット」五十崎社中㈱のギルティング和紙を背景に写真を撮り、黒い台紙に貼り付けます。

②次に、文字「KENTARO★★★★★★SCIENCE」を金属箔で作り、写真の下側に貼り付けてできあがりです。

一枚記念にいかがですか。

(企画・伊藤)

《出所》

・別子銅山の歴史的記述

住友グループ広報委員会WEBサイト「別子銅山 近代化産業遺産 概要編と後期編」

・展示写真

企画展「別子銅山・東平の思い出」

【愛媛県総合科学博物館の展示会一覧を作ってみました】〜博物館だよりとHPでたどる科博の歴史③〜

10月 22

愛媛県総合科学博物館は、11月11日(月)に開館25周年を迎えます。それにちなんで、この25年間の博物館の歴史をいろいろな角度から振り返っていきたいと思います。

今回は、科博のウェブサイトから、科博の展示会を年度別、種類別にたどってみました。

みなさんは、博物館に来たとき何をしたいと思うでしょうか。

プラネタリウムを観るか、お目当てのイベントを体験しに行くか、展示会を観るか。

お昼時ならレストランに行ったり、時間があるときにはジュースを買ったり、ミュージアムショップで買い物をしたり。

一人で静かに過ごしたいときには、ベンチに座ったり、図書室に行ったりといろいろな過ごし方があるものですね。

けれども、博物館と言えば「展示会」。

他に何もなくても、博物館には「展示会」が必ずあるものですよね。

それ以外にも、博物館にはたくさんの仕事があるのですが、それはまたの機会としたいと思います。

(参考:http://www.i-kahaku.jp/blog/events%ef%bc%86report/5291博物館実習と博物館の仕事)

さて、当館でも、常設展に加えて、開館した翌7年度末から特別展などを開催してきました。それをまとめたものが、次の一覧表になります。

《見方》

・PCでご覧の方は、画像をクリックして表示し、さらにクリックして拡大してください。全体の表示はできませんが、横にスライドさせることで、大きな文字で見ることができます。

・スマホでご覧の方は、画像をタップして表示し、ピンチで拡大してください。

・凡例:薄青色→特別展、薄緑色→企画展、館蔵展、テーマ展、薄山吹色→巡回展

特別展、企画展などの展示会の開催は、巡回展や館蔵品展を活用しながら年とともに徐々に増やしてきました。

来館者が多い春休みからゴールデンウィーク、夏休みの時期に予算規模の大きい特別展、企画展を配し、秋、冬にも企画展、巡回展を入れることで、年2〜4回は独自企画の展示を開催できるようになってきました。

このように質・量ともに展示が充実してきたことに加え、平成21年度以降は巡回展を増やしたことで、多様な視点の展示会が開催できるようになってきました。

また、時代の流れに沿って、当館でも体験展示を取り入れた展示会が増えました。

見るだけでなく、触って、体験して、感じて」もらうことに力を入れ、体感したことを通して「しくみを理解し、知る喜びを他の人につなげて」もらい、より多くの方に「科学する心を育んで」もらいたいと考えています。

特別展、企画展などで製作した展示物は、一部常設展示の中に移設し、引き続き体験してもらっていますので、常設展示の体験展示充実にも一役買っています。

コチラのリンクに、全部ではありませんが、特別展・企画展などの概要や展示の様子などが記録されていますので、ご覧ください。(企画・伊藤)

平成21年度以降:https://www.i-kahaku.jp/research/kiroku/index.html

平成20年度以前:https://www.i-kahaku.jp/research/kiroku/h07_h20.html

《出所》

・科博展示会の一覧表

https://www.i-kahaku.jp/research/nenpou/pdf/h29nenpou.pdf(平成29年度年報:博物館概要・沿革)

【愛媛県総合科学博物館のできるまでを調べてみました】〜博物館だよりとHPでたどる科博の歴史②〜

10月 19

愛媛県総合科学博物館は、11月11日(月)に開館25周年を迎えます。それにちなんで、この25年間の博物館の歴史をいろいろな角度から振り返っていきたいと思います。

今回は、科博のウェブサイトから、愛媛県総合科学博物館がオープンするまでを振り返ってみました。


◆科博設計のコンセプト◆
円錐形のエントランスホール棟、正方形の展示棟、三日月形の生涯学習棟とレストラン棟、球形のプラネタリウム棟。幾何学的に組み合わされた外観が、自然の成立ち、科学する心をイメージし、近未来を予感させるモダンな建物です。立体駐車場は、博物館本体の純幾何学形態を踏襲し、三角形としています。また、外壁のデザインは、南米ペルーのナスカの地上絵のうち「滑走路」と呼ばれる部分を模写したものです。
科博建設の話が公式に持ち上がったのは、昭和63年。バブル景気に湧いていた今から30年ほど前のことになります。その2年半後の平成3年度に答申が出され、新居浜市が候補地であることが明らかになりました。
建物の設計は世界的に有名な建築家、黒川紀章氏が手がけ、約190億円をかけて、平成6年9月末に完成しました。
また、当時理化学研究所理事長だった有馬朗人氏が館長に就任したことも特筆されるべきでしょう。有馬氏は一度館長を退きますが、再度名誉館長として平成17年度に就任され現在に至っています。
開館からたくさんの来館者が訪れました。2ヶ月後の1月16日には早くも10万人を突破し、1年半後の3月3日には50万人を達成しました。
2月11日に開館シンポジウム、2月17日にはプラネタリウムドームのギネス(世界記録)認定の記念事業などを行い、順調な滑り出しを見せました。
そして、平成7年2月10日、科博として初めての企画展「ロボットの歴史と未来」を開催することとなったのです。(企画・伊藤)
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《出所》
外観写真と設計コンセプト
https://www.i-kahaku.jp/about/2.html(科博HP:建物について)
科博開館までの主な出来事
開館当初の行事
立体駐車場の設計コンセプト
https://www.i-kahaku.jp/research/nenpou/pdf/h29nenpou.pdf(平成29年度年報:博物館概要・沿革)