研究ノート

銅製錬今昔物語

海上の孤島 四阪島の挑戦
 図1-5に、四阪島があります。ここでは、明治38年から昭和51年まで銅製錬が行われていました。明治時代、図1-3・4の製錬所で煙害問題が出たために、遠く離れた四阪島へ製錬所が移されたのです。しかし、移転して収まるかと思われていた煙害が、東予一円(新居浜方面だけでなく今治方面にも)に拡大するという皮肉な結果となり、その後、本格的な煙害対策が始まりました。まず、昭和4年完成のペテルゼン式硫酸工場で煙害が縮小しました。この工場では、硝酸を使用して亜硫酸ガスを硫酸にする方法で、硫黄の70%以上を硫酸に転化できるようになりました。そして遂に、昭和14年に中和工場が完成しました(写真2)。亜硫酸ガスをアンモニアによって中和するこの工場の完成により、煙害が皆無となりました。
 長年煙害問題の解決に尽力した四阪島は、別子閉山から3年後に銅製錬の操業を終結し、現在は酸化亜鉛を製造するリサイクル工場が稼動しています。

四阪島製錬所
写真2:昭和15年頃の四阪島製錬所
(写真提供 別子銅山記念館)
四阪島製錬所
写真3:現在の四阪島製錬所


別子の山に蘇った緑海上の孤島 四阪島の挑戦世界トップクラスの製錬技術


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