研究ノート

 愛媛を走る列車の名前
学芸課産業研究科 主任学芸員 藤本 雅之

 愛媛の鉄道の歴史の中で、昭和33年『四国初の気動車準急「やしま」が登場する』というできごとがある。それまでのSLから、煙を出さない快適な速い列車になるのだから、さぞ、ありがたがられたと思っていた。そこで、数人に準急「やしま」に乗ったことがあるか聞いてみたが、誰も乗った人はいなかった。そんなセンセーショナルな列車なのに、あまり乗った人がいないのはなぜだろう。雑誌「鉄道ピクトリアル」No574、1993年4月の臨時増刊号は四国の鉄道を特集している。その72ページから84ページに、三宅俊彦氏が、「四国島内および本州連絡の優等列車運転変遷史」という文章を書かれていて、それを読めば四国の列車の運行開始と終了の時期が分かる。

 読み取った結果を表にまとめてみた。準急「やしま」は、わずか1年3 ヶ月余りしか運行されていなかった。乗った人が、あまりいないということもうなずける。運行された期間が長い順に挙げると、1位「しおかぜ」(33年)、2位「いよ」(30年)、3 位「うわじま」(29年)、4位「いしづち」(22年)、5位「せと」(18年)であり、その他は5年以下だった。愛媛を走る列車といえば、今は「しおかぜ」が代表だが、昭和30年代から40年代は、いくつかの名前の列車が走っていて、昭和20年代は「せと」だったようだ。「やしま」は香川県にある地名なので、愛媛県内は走りにくかったのかもしれない。


▲特急「しおかぜ」(平成17年)
 「いしづち」は西日本最高峰(1982m)の名前だが、準急から始まり、急行を経験し、現在は特急列車として運行されている。そんな立派な経歴の持ち主だが、現在、ほとんどの列車が「しおかぜ」に併結されていて、あまり目立たない。

 「予土」は、今では考えられない経路を通っていることに注目してほしい。現在、松山-高知間はバスが約2時間30分で結んでいる。また、北宇和島-若井間の予土線は昭和49年の開通だった。

 ところで、ある列車(今回の表には入っていない)の運行開始時期が、実際には参考文献の記述よりも早かったという事実もある。もしかしたら、表の中にも間違いがあるかもしれないが、その際はご容赦いただきたい。


▲急行「うわじま」(昭和59年)

▲ 宇和島駅での特急「しおかぜ」 運行開始記念セレモニー(昭和47年)

▲準急「せと」(昭和26年)



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