研究ノート

 八幡浜トロール漁業
学芸課産業研究科 学芸員 安永 由浩

 西に長く突き出た佐田岬半島の付け根に位置する八幡浜は、九州方面への海の交通の要所であり、西日本有数の漁港でもあります。この八幡浜漁港には、豊後水道沖から宇和海にかけての海域で漁獲される水産物が水揚げされています。ここでは、八幡浜漁業を代表する漁法の一つである、トロール漁業について紹介します。
(写真:八幡浜港)

トロール漁業とは

 漁業関連法上の名称は「沖合底びき網漁業」といいますが、地元ではトロール漁業と呼ばれています。この漁業は、2隻の船で1つの網をひき、主にエソ、タチウオ、イボダイ、イカ類、マアジなどを捕らえます。

▲トロール船


トロール漁業の歴史

 八幡浜のトロール漁業は、大正7年に柳沢秋三郎が動力機関を取り入れた底びき網漁業に成功したことに始まります。当時の八幡浜では、打瀬網と呼ばれる、帆に風を受けて網を曳き、網を手で引きあげる底びき網が主流でした。そのような中、真穴村で製網業を営んでいた柳沢は、動力を使って船の推進と網の引き上げをおこなう島根方式の底びき網漁業に注目します。さっそく、山口県に行き漁法を習得し、第一宇和丸を建造、操業をはじめました。結果は大成功を収め、多くの漁業者がこれに習って打瀬網から転換するきっかけとなりました。数年後の大正11年、柳沢は、更に効率の良い2艘びき漁法を導入し、現在のトロール漁業の操業方法ができあがります。
 昭和時代に入ると、国の規制強化により愛媛県でのトロール漁業の全廃を受けて、トロール漁業は他県の許可区域に操業場所を移します。第2次世界大戦中の昭和19年、国内の食糧事情により復活し、今日まで操業されています。

沖合底びき網漁業操業図
▲沖合底びき網漁業操業図

(※1)【島根方式底びき網漁業】
 大正6年、島根県水産試験場の渋谷兼八らが、それまでの手作業の網の引きあげに代わる、網の巻き上げ機を開発した。非常に好成績をあげ、日本各地に広まり、底びき網の歴史に一大転換をもたらした。


トロール漁業の操業

 トロール漁業は解禁期間である9月から翌4月にかけて操業します。一回の航海で4日間程度操業し、大体10回から15回投網作業を行います。

沖合底びき網漁業操業図
▲操業場所

漁場移動  八幡浜港を出港し、2隻で船団を組んで操業を予定している漁場へ向かいます。鹿児島県種子島沖合から豊後水道、高知沖合にかけての海域で漁を行います。
▲漁場へ移動中
投網・漕ぎ  漁場に着くと、船団を指揮する漁労長は、魚群探知機や潮流計測器などの各種測定機器の情報や過去の操業実績をもとに網を入れる場所を決めます。漁労長の合図とともに網を入れはじめ、網の口が開くように2隻の間隔を開けて2時間程度網を曳く「漕ぎ」を行います。
▲網の投入
網あげ  漕ぎを終えると、相方の船から網の端を受け取り、網を引きあげます。
▲網の引きあげ
選 別  魚は、1匹1匹手作業で選別し、箱詰めしていきます。漁獲量が多いときは、仕分けしている最中に次の網があがり、休む間もないこともあるそうです。選別の間にもう一方の船は、投網・漕ぎ作業を行います。
▲船上での選別作業
水揚げ  操業を終えると八幡浜港に戻り、漁獲物の水揚げをします。1 回の水揚げで平均1000 ケースのトロ箱が次々と船から運び出されます。水揚げが終わると、魚介類は威勢の良いかけ声とともに競りにかけられます。
▲市場への水揚げ



▲市場での競り

[協力] 昭和水産(有)、第15・16海幸丸
[参考] ・愛媛水試研報 第3 号「愛媛の漁業史雑稿−VII 機船底びき網漁業の変遷について」 小林憲次 愛媛県水産試験場
・八幡浜市誌(市制五十周年記念版) 八幡浜市
・愛媛の漁業と県漁連50年 史愛媛県漁業協同組合連合会

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