住友共同電力新居浜東火力発電所2号タービン |
藤本雅之 |
携帯電話、テレビ、照明器具、パソコン、時計、自動車のバッテリー。私たちの暮らしの中で、電気を使わない生活は考えられません。電気は生活の中でも多く使われていますが、鉄道などの交通手段や工場などの産業分野でも多く使われています。電気を作るためにどのような機械が使われているのでしょうか。また、愛媛県内の工場で電気を大量に使い始めたのはいつ頃でしょうか。当館の展示物から、答えを探ってみましょう。 |
当館の屋外展示場に、新居浜市菊本町の住友共同電力株式会社新居浜東火力発電所で昭和11年(1936)から平成8年(1996)頃まで運転されていたタービンが展示されています(写真1、2)。愛媛県の火力発電設備のうち、1万kW以上のタービンでは、3番目の古さです。また、タービンの内側で回転するローターの展示は、県内でも3ヵ所程度ありますが、固定されている外側のケーシングを展示しているところは、見たことがありません。 |
写真1 タービンローター |
写真2 タービンケーシング |
火力発電とは、ヤカンで沸騰したお湯から出た水蒸気の力で風車(かざぐるま)を回し、その回転する力で発電しているようなものです。タービンは、その水蒸気の力を受け止めるための巨大な風車の役目をしています。しかし、家庭のヤカンから出る水蒸気とは比べ物にならない高温高圧の水蒸気です。水蒸気の圧力は35気圧で、1平方cmに35kg、手のひらの大きさだと約3トンの力がかかっています。水蒸気も430℃と高温です。 このタービンの注目すべき点は、国産技術を使った初期の製品であることです。国産で最初のタービンは、明治41年(1908)、長崎造船所でイギリスのパーソンス社と技術提携をして造られました。国産技術による最初の発電用蒸気タービン(写真3)は、昭和4年(1929)に東京石川島造船所(現在の東芝)で製造されました。当館のタービンは、その7年後に造られたものです。明治初期の日本は、蒸気機関車が走り、電信が使われ、蒸気船が航行するなど文明開化の時代というイメージがあるかもしれません。しかし、大量の鉄・蒸気機関車・タービンなどが国内で作られ始めるのは、明治後期から大正時代にかけてのことでした。 |
写真3 国産技術最初の発電用タービン *東芝京浜事業所内に保存されている。 *協力:(株)東芝京浜事業所 |
このタービンは愛媛県の重化学工業の発展に大きな貢献をしました。このタービンが稼動した新居浜東火力発電所は、新居浜に作られる住友のアルミ工場や化学工場、またそのほかの化学繊維工場などに昭和8年以降に大量の電気を供給する計画で、建設されました。この時期の全国と愛媛県のそれぞれにおける重化学工業の比率を表に示します。大正14年及び昭和6年には、全国と大きな差がありましたが、このタービンが造られた後の昭和12年には、全国にかなり近づきました。これは、新居浜東火力発電所周辺の工場が大きな生産力があったことを示していると考えられます。 |
注) | 重化学工業は、金属工業、機械器具工業及び化学工業。ただし、全国については、化学工業のうちパルプ・紙・ゴム・皮革及び皮製品を除いた純化学部門のみを含む。 資料:各年度 愛媛県統計書・通産相 工業統計50年史により作成 |
〈参考文献〉 |
|
ふじもと・まさゆき /主任学芸員・産業担当 |
▲このページのトップへ |