木や石油やガスを燃やしていたのです。 |
江戸時代から明治時代にかけては、松の根っこをつかった篝火(かがりび)でした。これが、明治時代になり石油を燃やす石油灯が、大正時代になりカーバイドをつかったアセチレンガス灯が集魚灯の技術に登場したのです。アセチレンガス灯は石油灯よりも明るく照らすことができたのですが、カーバイドの値段が高かったため、漁師さんたちにとっては大きな負担となっていました。
昭和のはじめ頃に開発された蓄電池(バッテリー)を使った集魚灯が全国に先駆けて愛媛県で試験、使用されました。経費が安く、魚をたくさん集めることできたため、瞬く間に愛媛県内そして全国に普及していったのです。
当時の資料によると、多くの漁船が宇和海で電気集魚灯を使うようになったため、まるで海に町が出来たと錯覚するくらいの光景であったと書かれています。 |
現在の集魚灯をつかった漁業をちょっと紹介しましょう。 |
【まき網漁業】
愛媛県では主に宇和海で操業しされています。何隻もの船で船団を組み、役割を分担して漁を行います。集魚灯を積んだ船は灯船と呼ばれ、魚を集めることを主な仕事としています。灯船で魚を集めた後、網で取り囲み魚をとらえます。 |
集魚灯で魚を集める灯船 |
まき網漁業(模型) |
【すくい網漁業】
愛媛県では、宇和海の沿岸や来島海峡の小島周辺で操業されています。2〜3トンの小型船で漁を行います。集魚灯で海面や海中を照らし、集まったシラス(カタクチイワシなどの稚魚)やイカナゴなどをすくい網(たも網)ですくい上げてとらえます。 |
集魚灯に集まったシラス |
集魚灯(海面用) |
集魚灯(海中用) |
夜に宇和海で明かりを見かけたら、ひょっとして集魚灯で魚を集めているのではと思いながら眺めてみてください。
参考文献:内海村史 |
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