大正2年、松山電気軌道は、大阪市電から2両の二階付電車を購入しました。大阪市電に在籍した頃は、珍しがられ、名士が来阪したときに乗ってもらったそうです。この電車は、大正13年以降、大阪府の能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)に移りました。その後、台車だけが兵庫県の宝塚ファミリーランドに展示されていましたが、現在は、大阪市交通局の緑木車庫に保存されています。この台車は、1901(明治34)年に、日本では珍しいヘルブランド社(ドイツ)で作られ、G.E.社(アメリカ)製のモーターが付いています。残念ながら、いつも公開されているわけではありません。
さて、この二階付電車ですが、いくつか謎があります。大阪から来た二階付電車は、統計では2両とも貨車として記録されました。せっかく、珍しい二階付電車を購入したのに、貨車として記録されたのはなぜでしょう?また、貨車で記録されているのに、三津ヶ浜海水浴場では、『二階付電車納涼台』として使用されています。地図をご覧ください。大正時代初期の三津浜の地図ですが、松山電気軌道の終点江ノ口と海水浴場との間は約300m離れています。納涼台として使うために、線路のないところを運んで行ったのでしょうか?
謎はいろいろと深まるばかりですが、松山電気軌道が大阪から二階付き電車を買ってきたことは事実のようです。松山の市民が電気を使い始めたのは、明治35年なので、11年ほど後のことです。そんな新しい技術を使った車両の上で夕涼みをする松山の子供たちを想像すると、楽しい気分になってきます。もし、松山でのこの車両の写真をお持ちの方が居られれば、ぜひ一度見せていただきたいと思います。 |