別子銅山が開坑したのは、1691年。それから300年以上過ぎた現在も、輸入した銅精鉱を原料に、銅の製錬が続けられています。銅製錬の歴史は、煙害問題解決の歴史でもありました。製錬所を山から海へ移動したり、煙害を処理する技術を確立したり、様々な苦労を経て現在にたどり着きました。環境問題が叫ばれる今日、すでに別子の山には緑が蘇り、四阪島ではリサイクル工場が稼動し、東予工場では無公害に製錬が行われ、環境の世紀を先取りしています。 ●別子の山に蘇った緑
●海上の孤島 四阪島の挑戦
●世界トップクラスの製錬技術