博物館だより

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博物館だより

2007年冬号
話題提供
鉱山絵葉書
吉村 久美子

東平の位置 新居浜市には、かつて隆盛を誇った別子銅山があります。1691年から1973年までの283年間、銅鉱石が採掘されました。その銅山の華やかなりし頃、山中には諸施設や住宅が建ち並び、多くの人々で賑わっていました。当時の様子を知るには、写真があるとよく分かるのですが、戦前のものとなると、ぐっと少なくなります。資料館等に残る写真も少なく、どこを探せばよいのでしょう・・。そんな時代の写真が、意外なところに隠れていました。それが、個人宅に眠る『絵葉書』です。日本では、明治末期から昭和初期にかけて、絵葉書ブームがありました。その絵葉書に写る写真は、観光名所だけではありません。財閥が抱える鉱山の雄姿を捉えた写真も、数多く存在しました。


絵葉書 表(宛名面)
絵葉書 表(宛名面)

 東京在住の絵葉書コレクターである井上真治氏から、別子銅山に関する絵葉書を拝見させていただく機会がありました。調査に使用しても良いとのことで、その絵葉書に関する調査が始まりました。絵葉書に写る写真が何年頃のものか、1枚ずつ調べ、新居浜の変遷として記録に残しています。例えば、下の絵葉書。かつて別子銅山の採鉱本部が置かれた山あいの地域、「東平(とうなる)」の全景です。東平に採鉱本部が置かれたのは、大正5年から昭和5年ですが、この風景は、その頃のものでしょうか。まず、写っている建物は何か、その建物が完成したのは何年か、図面や文献を照らし合わせて調べます。この中で最も遅く完成した建物は、明治42年完成の接待館でした。そして、さらに絵葉書を注視すると・・・。東平にあったはずの建物『娯楽場』が写っていないことが分かります。娯楽場の完成は、明治45年です。よって、この風景は、明治42年から45年の間に撮影されたもの、と推定できるのです。


 その地域の変遷を調べる際、文献を読んだり、古地図を調べたりします。ですが、やはり写真があると、よく分かります。写真には、様々な情報が凝縮されています。本来、当時の絵葉書は、「便りを出す」ためのものでしたが、今となっては、その地域の変遷を知ることができる貴重な資料となりました。もし、皆さんのお宅にも、このような絵葉書が眠っていましたら、博物館までご連絡ください。見せていただけるだけでも、ありがたいです。よろしくお願いします。

絵葉書 裏(写真面)
絵葉書 裏(写真面)
絵葉書に写る建物
絵はがきに写る建物

よしむら・くみこ/学芸員・産業担当.
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