平成19年夏。地元新居浜市主催の生涯学習講座で、愛媛県の藻類分布に関する講演をすることになっていた。日々の雑務に追われながら講演準備をするのは意外と大変だが、時に新たな発見もあってそれなりに楽しいものである。この時もパソコンの資料準備を済ませ、当日持参する海藻標本集を眺めていた。一つは淡路島にある神戸大学の研究所によって製作された瀬戸内海産の海産藻類標本集で、全6冊の大作である。この中から数冊を持って行くことに決めていた。そしてもう一つは、見た目も対照的な小さなスクラップブック。これまで精査することなく保管されていたこの標本帳を製作されたのは、新居浜市内の小学校に勤務されていた村上好央氏で、一部の採集年月日が皇紀で記載されるなど、当館所蔵標本としては最古の部類に属すると言っていいだろう。氏は教鞭を執るかたわら多足類の分類で学位を得られたと聞いていた。残念なことに開館後しばらくして他界され、ついにお話を伺う機会には恵まれなかった。
戦時中の紙は質も悪く、一部は朽ちてきている。破らないよう1枚ずつ丁寧にページを繰っていた手が、ある所で止まった。そこには薄茶色の見慣れないホンダワラが張り付いていた。その形態から、愛媛では見かけない種であることは明らかだった。県外の研究者の助力も得ながら調べた結果、葉の色調や形態、生殖器官の特徴から南方系のホンダワラ「マジリモク」であることが判明した。海洋温暖化の尖兵と考えられていた海藻が、なんと昭和16年に松山市で採集されていたのである。
マジリモクは主に東シナ海などを中心に九州沿岸まで分布が知られており、近年瀬戸内海で初めて自生が確認されて話題となった。また、時折古い標本が見つかることもあったが、今回の標本は瀬戸内海産としては最古の記録となる可能性があった。そこでこの機会に、県内各地の海藻標本を精査するとともに、過去の文献から県内で確認されたホンダワラ類を再検討することにした。ホンダワラは漁業資源としても古くから重要なものと位置づけられ、資源保護・自然科学の両面から記録が残っていることが多い。幸いなことに愛媛県内では、県立博物館の設立に尽力した八木繁一氏の膨大な記録があり、八木氏とその教えを受けられた方々の文献から多数の記録を抽出することが出来た。文献からは43種のホンダワラを確認することができたが、現在では通用しない名前も散見された。標本調査では、当館のほか松山市にある県立博物館、宇和島市にある愛媛自然科学教室の標本室のお世話になり、全部で24種のホンダワラを確認することができた。文献と標本の両方を再検討した結果、愛媛県ではこれまでに38種のホンダワラ類が確認されていることが分かった。そして予想通り、文献と標本の双方からマジリモクの記録にたどり着くことが出来たのである。文献からは、マジリモクと同種として統合されたホゾバモクが確認され、県立博物館の標本庫からは数葉のマジリモクの押し葉が確認されたのである。この結果は、マジリモクそのものは最近の温暖化に伴って突然侵入してきたのではなく、以前から瀬戸内海に自然分布していた可能性があることを示唆している。
古い1枚の標本をきっかけとして、愛媛県内のホンダワラ類の記録とマジリモクの分布について様々な知見が得られた。その結果は学会で発表し、多くの研究者との交流を通じて、さらに新たな情報を得ることが出来た。それはまた同時に、愛媛で藻類を調べる者として、少なからぬ責任を負うことに繋がって行く。マジリモクに関してはさらに研究を進め、自然分布を確認することが大きな課題である。またホンダワラ類全般に関しても県内の全貌を把握することが必要である。ホンダワラ類の分類は一部が混沌としており、瀬戸内海沿岸に居を構える者として、その解明に一役買えれば幸いだ。そして何よりも、愛媛の藻類についての全貌を、古い記録までさかのぼって明らかにするよう求める声が多いのである。このことは、注目に値する。かつて八木繁一氏が活躍されていた頃、愛媛県は藻類研究の重要地点だった。今、その記録を、再び世に出さねばならない時を迎えている。すでに何種類かの海藻については、国内の研究者から所在の問い合わせがきている。目下の悩みは、そういったワクワクするような研究のオファーに対し、迅速に対応できないことだ。
ここにたどり着くまでには、いくつもの偶然が横たわっている。あるとき、自然を見る目を持った方が「偶然」採集した1枚の押し葉が、「偶然」戦災にも遭わず、また廃棄されずに長い年月を経て、「偶然」赴任した方に確認され、「偶然」その方が居る時に近所に博物館が開館し、「偶然」その分野に興味を持つ人間が配属され、「偶然」意義を見出されたのである。今回の遭遇は、実に60年以上の歳月を越えている。人の一生の短さを思うとともに、個人の思想が通用するような短い時間を超越して標本が生き続けていることを思わずにいられない。そう、博物館の標本は、悠久の時の中で幸運な偶然を待ち続けているのだ。ただその事実に驚くとともに、このような幸運な偶然に遭遇できたことに感謝するばかりである。現在の最先端技術を持ってしても乾燥標本からDNAを抽出するのは困難だが、やがてそのような障壁も解消されるだろう。科学技術の進展は、幸運な偶然とともに、きっと数百年前の標本からも人類の幸福を導き出すに違いない。未来永劫、人類の営為が続き自然科学の灯火が消えない限り、標本は活用されるはずだ。そのために博物館は、どんな困難に直面しても、未来のための蓄積を続けていかねばならないのである。